Vol. 22 / Series IV Spring 2026
日の丸の系譜
N° 22 / 1960 — 1989
特集 / FEATURE No. 22 — HISTORY / 日本グラフィック黄金期

グラ フィック — a graphic dawn from the rising sun —

1960 — 1989 / 黄金期
COMP — 日本のかたち
和洋
折衷
の詩

浮世絵の 平面構成 と、ヨーロッパのモダニズム。日の丸 と、Helvetica。両者の出会いから、世界に類のない視覚言語が生まれた。

— 中心地

東京 — 日本宣伝美術会 (日宣美)・東京アートディレクターズクラブ (ADC)・電通・資生堂

— 鍵語

日の丸 / 浮世絵の平面 / 書 (calligraphy) / 視覚遊戯 / 和洋折衷

戦後復興から、世界へ

— from rubble to recognition —

1945 → 1964 → 1970 → 世界

第二次大戦敗戦後、日本のグラフィックデザイン界は 亀倉雄策 ら戦前世代を中心に、急速に再建された。1951 年に 日本宣伝美術会 (日宣美)、1956 年に 東京アートディレクターズクラブ (ADC) が設立される。

1964 年の 東京オリンピック、1970 年の 大阪万国博覧会 という二つの国家プロジェクトが、日本のデザイナーに国際舞台での表現機会を与えた。亀倉のオリンピックポスター、勝見勝のピクトグラム体系 — 戦後日本が「敗戦国」から「文化国」へ転位する起点。

1960–80 年代、田中一光横尾忠則永井一正福田繁雄杉浦康平浅葉克己 らが、それぞれ独自の方向で日本のグラフィックデザインを世界水準へ押し上げた。和の伝統 (浮世絵・書・能) と西欧のモダニズム (Bauhaus・Swiss) が混合し、世界のどこにもない視覚語彙が誕生した。

系譜 / Timeline

  • 1951日本宣伝美術会 (日宣美) 設立
  • 1956東京アートディレクターズクラブ (ADC) 設立
  • 1960世界デザイン会議 東京開催
  • 1964東京オリンピック (亀倉雄策・勝見勝)
  • 1965横尾忠則 「ジョン・シルバー」ポスター
  • 1970大阪万国博覧会 / 福田繁雄活躍
  • 1975杉浦康平『全宇宙誌』
  • 1980田中一光 西武セゾン時代
  • 1989無印良品 (原研哉が後継)

視覚 語彙

— five strategies / 五つの戦略 —
— 01 —

日の丸

— the rising sun —

白地に赤丸 ── 日本国旗の構成。亀倉のオリンピックポスター以来、最強のシンボルとして無数のデザインに使われた。

— 02 —

書 (しょ)

— calligraphy —

毛筆の運筆そのものを画面に持ち込む。浅葉克己や杉浦康平が、書道家との共作で発展させた領域。

— 03 —

浮世絵の平面

— ukiyo-e flatness —

葛飾北斎・歌川広重の伝統。陰影を排した平面構成と独特の色面で、視覚に新しいリズムを与えた。

— 04 —

視覚遊戯

— visual pun —

福田繁雄の十八番。「同じ絵が二つに見える」「形がメッセージを運ぶ」── 一瞬の認知反転を引き起こすトリック。

— 05 —
A

和洋折衷

— east meets west —

Bauhaus・Swiss の合理性と、和の感性の共存。両者を「混合する」のではなく「並置する」のが日本流の解だった。

四人の 巨匠

— 田中 / 横尾 / 永井 / 福田 —
— 第六回 / 日本舞踊
— 01 / 幾何学の和 —

田中 一光

— Tanaka Ikko —
1930 — 2002

能面・歌舞伎を幾何学に還元した連作《Nihon Buyo》(1981) で世界に名を知られた。Bauhaus の精神を和の伝統に注入し、無印良品の前身デザインへ繋がる。Issey Miyake のグラフィックも担当。

— "Nihon Buyo" UCLA, 1981
JOHN
SILVER
— 02 / サイケと和 —

横尾 忠則

— Yokoo Tadanori —
1936 —

1965 年の自作ポスター《ジョン・シルバー》で衝撃的デビュー。日の丸、富士山、明治の絵看板、サイケ、ハリウッド ── あらゆる図像をコラージュし、戦後日本の集合的無意識を可視化した。

— "Tadanori Yokoo Has Died" 1965
— LIFE / 1991 —
— 03 / 動物の象徴 —

永井 一正

— Nagai Kazumasa —
1929 — 2024

動物 (鳥・魚・獣) を象徴的に描いた連作《LIFE》で、日本ポスター史上最も知的な「環境ポスター」を残した。札幌オリンピック (1972) のロゴも担当。日宣美の長老的存在。

— "LIFE" series, 1980s—
— Victory 1945
— 04 / 視覚の魔術 —

福田 繁雄

— Fukuda Shigeo —
1932 — 2009

視覚遊戯の達人。「同じ画像が二人の人物に見える」「砲弾が銃身に逆向きに撃ち込まれる」── 一瞬の認知転倒で世界平和を語る《Victory 1945》(1975) はワルシャワビエンナーレ金賞。

— "Victory 1945" Warsaw Biennale, 1975

二つの 国家事業

— 1964 Tokyo & 1970 Osaka —
— Event 01 / Tokyo —
Tokyo 1964

東京 1964

— olympics, the rebirth —

日本初の戦後国家プロジェクト。亀倉雄策のロゴ (日の丸 + 五輪 + ゴールド) は、世界に「日本の現代性」を告げた象徴的作品となった。

同時に 勝見勝 主導で開発された ピクトグラムの体系 は、「言語に依存しない案内サイン」という発想で世界標準の起源を作った (Vol. 13 参照)。

— 亀倉雄策 / 勝見勝 / 山下芳郎
— Event 02 / Osaka —

大阪 1970

— expo, the explosion —

テーマは「人類の進歩と調和」。岡本太郎《太陽の塔》、丹下健三《お祭り広場》、福田繁雄ら多数のデザイナーが参加した 戦後最大の文化的祝祭

桜の花を象徴化した 大高猛 によるロゴは、テクノロジーと和の融合を象徴した。日本のグラフィックデザインが「国際的な創造力」として認知された決定的瞬間。

— 大高猛 / 福田繁雄 / 田中一光

遺産 → 無印 へ。

— from gold to silence —

派手から 静寂 へ ──
原研哉と無印良品。

1990 年代に入ると、横尾的派手さから一転、原研哉 ら次世代が 引き算の美学 を打ち出した。1989 年に始まった 無印良品 の視覚言語は、田中一光の遺伝子を受け継ぎつつ、より深く沈黙する方向へ向かった。

2000 年代以降は 佐藤可士和 がブランドデザインの王道を、服部一成 が編集デザインの実験を、祖父江慎 が装幀の規格外路線を ── と各方向で日本グラフィックの第三世代が活躍する。

1960 年代に始まったこの黄金期の遺伝子は、Issey MiyakeComme des Garçons無印良品Uniqlo ── 世界に通じる日本デザインの背骨を作り続けている。

系譜 / Legacy Flow

1989無印良品 (田中一光 ADC)
1990s原研哉 → 第三世代
2000s佐藤可士和 / 服部一成
2003原研哉『白』
2010sUniqlo / +J / OQO
2020sAsian aesthetic 国際標準化