Hand-Painted
活字や写真ではなく、絵筆と墨。デザイナーがそのまま画家であり、ポスターは「印刷された絵画」。Tomaszewski のアトリエの空気がそのまま紙に残る。
1945 年、戦後のポーランドは社会主義国家となった。商業広告は禁止され、すべての印刷物は国家が発注した。商業競争のない、デザインの楽園が生まれた — そう言うこともできる。
国家が発注するのは、劇場の演目、映画の上映、文化イベントの告知、サーカスのプログラム。商業ロジックが消えた結果、デザイナーには異常なほどの表現の自由が与えられた。「客を呼ぶ」必要のないポスターは、作家の 個人的詩になる。
1955 年から 70 年代にかけて、Henryk Tomaszewski、Roman Cieślewicz、Jan Lenica、Waldemar Świerzy らが、20 世紀ポスター芸術の頂点を作り出した。Polska Szkoła Plakatu (Polish School of Poster) ── ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ (1966 年〜) を通じて、世界に発信された。
活字や写真ではなく、絵筆と墨。デザイナーがそのまま画家であり、ポスターは「印刷された絵画」。Tomaszewski のアトリエの空気がそのまま紙に残る。
ハムレットを描くのに頭蓋骨は出さない、代わりに「頭から咲く花」を描く。文字通りの図像ではなく、メタファー、夢、寓意。Magritte の影響、東欧の文学的伝統。
戦後の物資不足ゆえ、印刷は 2–4 色までに限定された。制約が美学に転化し、限定された色が逆に詩的密度を生んだ。クリーム色の紙、墨、紅、黄土 ── これが標準。
文字も画像と同じく 絵として扱われた。手描きの文字、ねじれた配置、不安定な縦書き。文字の「意味」と「形」のあいだを彷徨う詩学。
Polish School の精神的指導者。ワルシャワ美術アカデミーで 30 年以上教鞭をとり、ほぼすべての主要な後続デザイナーが彼の弟子となった。ユーモア、機知、最小限の図像で最大の暗喩を生み出した。
1968 年にパリへ亡命し、国際的に最も知られた Polish School 作家となった。Constructivism (Vol. 17) のフォトモンタージュ手法を引き継ぎつつ、シュルレアリスムの夢の論理を加えた。
ポスターと並行してアニメーション映画も手がけた。流動的な有機形態、Art Nouveau (Vol. 16) を再解釈した装飾性が特徴。Berg のオペラ『ヴォツェック』ポスターは伝説。
1500 点を超えるポスターを生涯で制作した、最も多作な作家。特にジャズ・コンサートと劇場用の 肖像ポスターで知られ、限られた色面で人物の精神性を表現した。
Polish School の中心的な仕事先は、劇場・オペラ・映画・サーカスだった。これらは国家管轄の文化施設であり、商業的成功とは無関係に運営されていた。デザイナーは「劇場のために何を語るか」を作家の自由に決められた。
その結果、ポスターは演目の 批評や個人的解釈になった。ハムレットのポスターはハムレットの絵ではなく、「Tomaszewski がハムレットを観た夢」 — そういう種類の作品が生まれた。
同じ仕組みは Cyrk (サーカス) ポスターにも適用された。1950–80 年代の Cyrk ポスター・コレクションは現在、国際的な美術品として高値で取引されている。
Cieślewicz のパリ移住 (1968)、ワルシャワ・ビエンナーレ (1966–) を通じて、Polish School は西欧と米国のデザイン界に知られるようになった。「ポスターは芸術である」という認識が、この運動によって広く共有された。
1980 年代以降、米国では Pentagram、Paula Scher らがその精神を継承。日本では 横尾忠則 や 福田繁雄 が直接的に影響を受けた (Vol. 22 で扱う)。
2000 年代以降、Mirko Ilić、Stefan Sagmeister らがその系譜を継ぐ。「ポスターは詩である」 ── この思想は、Instagram のグラフィックや美術館のポスターの中で、今も生き続けている。