The grid.
すべての要素は、見えない格子の上に配置される。Vol. 05 で扱ったグリッドシステムの起源。Brockmann は 1968 年の著書でこの方法論を体系化した。
第二次世界大戦下、政治的中立を保ったスイスは、ナチスから逃れた多くのデザイナーの避難先となった。Bauhaus の遺産(Vol. 18)が、Tschichold の New Typography とともに、Zürich と Basel の二都市に集まった。
戦後、これらの都市の美術学校 — Zürich Kunstgewerbeschule、Allgemeine Gewerbeschule Basel — から、戦争に疲弊した世界が必要としていた 普遍的・客観的・読みやすい 視覚言語が生まれた。
1950 年代に Müller-Brockmann が「グリッドシステム」を、Karl Gerstner が「プログラム化されたデザイン」を体系化。雑誌 Neue Grafik(1958 年創刊)を通じて、Swiss Style は世界へ輸出された。1960 年代には International Typographic Style と呼ばれるようになり、文字通り国際的な標準となる。
すべての要素は、見えない格子の上に配置される。Vol. 05 で扱ったグリッドシステムの起源。Brockmann は 1968 年の著書でこの方法論を体系化した。
文字サイズは、恣意的に選ばれない。1.5 倍 や 黄金比 といった数学的比率に基づくモジュラースケール。Karl Gerstner の「Programme entwerfen」(1964) で結晶化。
左右対称の中央揃えは「保守の構図」。Swiss Style はそれを捨て、要素の 視覚的バランス によって調和を作る。動きと緊張感を内包した秩序。
セリフ書体は古典の名残として退けられ、Akzidenz Grotesk(1898 年)の系譜が標準となった。1957 年、その精神を継ぐ Helvetica と Univers が同時発表。
イラストは「主観的・装飾的」として退けられ、客観的記録としての写真が選ばれた。被写体は構図の中で純粋な形態として扱われた。
Bauhaus の卒業生。Swiss Style の理論的基盤を築いた。1953 年に Ulm 造形大学を共同設立し、Bauhaus の遺伝子を戦後ヨーロッパに継承させた中心人物。
Tonhalle Zürich の演奏会ポスターで Swiss Style の頂点を示した。1981 年の著書『Grid Systems in Graphic Design』は、現代の UI/Web デザインの基礎文献として今も読まれている。
Basel 派の指導者。「形と非形 (Form vs Counter-form)」の原則で知られる。米国 Yale 大学でも教鞭をとり、北米のデザイン教育に決定的な影響を与えた。
Basel の Allgemeine Gewerbeschule で 30 年教鞭。1967 年の著書『Typographie: A Manual of Design』は、近代タイポグラフィの最重要教科書のひとつ。
「プログラム化されたデザイン (Programme entwerfen)」を提唱。デザインをパラメータの組み合わせとして捉える発想は、現代のデザインシステム・トークン思考の祖先。
Zürich で学び、戦後はミラノで活躍。Swiss Style にイタリアの色彩感覚を持ち込み、より躍動的でカラフルな展開を見せた。Monza Grand Prix のポスターが代表作。
Swiss Style の書体的原型。Müller-Brockmann と Hofmann が好んで使用した。Helvetica 登場まで、ヨーロッパの近代タイポグラフィの標準。
Akzidenz の精神を継ぐ、20 世紀後半最も使われた書体。中立・明快・万能。Apple、IBM、NYC 地下鉄、Lufthansa — どこを見ても Helvetica。
Helvetica と同年発表のライバル。21 種のウェイトをグリッドで体系化した最初のファミリー書体。Adrian Frutiger の論理的設計の頂点。
同心円の波紋によって 音楽そのものを可視化した。Swiss Style 抽象表現の金字塔。
「形と非形」の原則。バレリーナの身体を抽象化し、地と図の関係そのものを主役にした。
赤面に格子と直線。グリッドそのものを構図の主役にした、Swiss Style の自己言及的傑作。
1960 年代以降、Swiss Style は「International Typographic Style」として米国へ輸出された。Massimo Vignelli(NYC Subway)、Paul Rand(IBM のロゴ)、Lance Wyman(Mexico Olympics 1968) — みなスイスの遺伝子を実装した。
1970 年代には、Apple Computer の創業者 Steve Jobs がリード大学でカリグラフィを学び、後にこれを Macintosh の書体システムへ反映させる。Helvetica が世界共通書体になったのは、Mac OS が標準採用したことが決定的だった。
2000 年代以降、Apple の San Francisco、Google の Roboto、IBM の Plex、Vercel の Geist — 現代テック企業の自社書体はすべて、Helvetica の論理的子孫である。Vol. 18 の Bauhaus と並んで、Swiss Style は 20 世紀視覚言語の二大柱として今も働き続けている。